「鬼滅の刃」が、私の人生と重なる理由
鬼滅の刃は、物語こそ現実離れしている。
鬼がいて、命を懸けた戦いがある。
でも、そこに描かれている“人間”は、あまりにもリアルだ。
一人ひとりに背負ってきた過去がある。
失ったものがある。
守れなかった後悔がある。
それでも彼らは立ち止まらない。
守りたいものがあるから。
譲れない想いがあるから。
——でも一方で。
鬼側の姿もまた、リアル。
鬼になった者たちの姿も、私はリアルだと感じる。
欲望に負けた者。
弱さに飲み込まれた者。
憎しみに囚われ続けた者。
あれは“遠い世界の怪物”じゃない。
人間の中にある影そのものだと思う。
そして正直に言うと——
私にだって、そうなりかけたことは幾度となくある。
怒りに飲み込まれそうになったこともある。
「どうせ私なんて」と投げやりになりかけたこともある。
きっと誰しも、一度や二度はあるんじゃないかなと思う。
でも大事なのは、
そのまま堕ちていくのか。
気付けるのか。
戻って来られるのか。
そこなんだと思う。
鬼たちも、最期の瞬間に気付く。
本当は守りたかったものに。
遅すぎるかもしれない。
でも、気付いたという事実は消えない。
だから私は信じたい。
私たちも、
気付いたところから何度だって立ち上がれる。
人は、大切な人が明日も当たり前にそばにいると思ってしまう。
でも、それは決して当たり前じゃない。
幸せがずっと続く保証もない。
シングルマザーとして感じた恐怖
私は一度、未来が崩れる感覚を知った。
シングルマザーになると決まったとき、
正直、怖かった。
経済的な不安。
子どもを一人で守りきれるのかという恐怖。
自分が倒れたら終わるという現実。
誰も代わりはいない。
弱音を吐いてもいい。
泣いてもいい。
でも最終的に舵を握るのは自分しかいない。
生殺与奪の権を他人に握らせるなという覚悟
自分の人生は、自分で責任を持つしかない。
その言葉は、冨岡義勇の
「生殺与奪の権を他人に握らせるな!」
というセリフを思い出させる。
人生の決定権を、
他人の評価や過去に渡さないこと。
私はもう鬼側に行かないと決めた
私はもう、鬼側には行かないと決めている。
怒りや悲しみに飲み込まれて、
「どうせ」「もういい」と投げ出す側にはならない。
そのために私は、
感情と向き合うことをやめない。
感情に飲み込まれそうになったとき、私はまず自分の感情を書き出すようにしています。
(▶︎感情のコントロールについて詳しくはこちら)
感情のコントロールを学び、
セルフラブを実践し、
自己肯定感を育て、
愛着の問題と向き合っている。
何度でも立ち上がれると信じたい
完璧じゃない。
今も揺れる。
でも、気付ける自分でいたい。
飲み込まれそうになったときに、
「あ、今危ない」と立ち止まれる自分でいたい。
鬼滅は、
強さとは“無敵になること”じゃないと教えてくれる。
弱さを抱えたままでも、
それでも選び続けること。
私は今、人生を再構築している途中。
まだ完成形じゃない。
でも、燃えている。
小さくてもいい。
消えそうでもいい。
それでも自分の火を絶やさない。
私の人生の舵は、
私が握る。
何度でも立ち上がれると、信じながら。
明日はSCREEN Xで鬼滅の刃 無限城編を観てきた感想を投稿するので
引き続き、ぜひ見てください。
今日もみなさんお疲れ様!!
明日も頑張りましょう!!


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