私に勇気をくれる、小さな手

心の学び





出会いと別れに意味を見つけるということ

「運命の人がいる!」とまでは思わないけれど、人生にはやっぱり「運」や「タイミング」、そして「必然」があると感じています。

最近の出来事を通して、私はふとこんなことを思いました。

もしかしたら今まで、出会いや別れの中で学べるはずのことを、ちゃんと受け取れていなかったのではないか、と。

これからは過去も振り返りながら、一つひとつの出会いや別れに意味を見つけ、そこから学び、成長していける自分でありたい。

人生に起きることの意味を決めるのは、やっぱり自分次第なんですよね。




出会いも別れも「意味」を持たせるのは自分次第

人との出会いや別れはもちろん、

いじめられた経験や、友達との仲違い、辛かった失恋…。

その時は苦しかったとしても、そこから何を学んでどう未来につなげるかは自分の選択にかかっています。

ただ「嫌な思い出」として終わらせるのか、それとも自分を強く優しくしてくれた出来事だと受け止めるのか。

同じ経験でも、その後の人生は大きく変わってくるのだと思います。



元旦那との出会いも「必然」だった

私の人生にも大きな出来事がありました。

元旦那との結婚、そして離婚。

養育費も払わずに音信不通になった今でも、振り返ればあの出会いは「必然」だったと思えます。

なぜなら、もし人生をやり直すとしても、私は必ずまた娘と出会いたいから。

そのためには、元旦那との出会いも必要不可欠だったのです。



奇跡のように生まれてきてくれた娘

私は無呼吸症候群があり、妊娠中に「赤ちゃんに酸素が届きにくいかもしれない」と言われていました。

悪阻で食べられない、切迫早産で絶対安静、精神的にも追い詰められる…。

大変な毎日を過ごす中でも、娘はお腹の中で懸命に育ってくれ、予定帝王切開の日までしっかり生きて、無事に生まれてきてくれました。

そしてもうすぐ3歳。

今も元気いっぱいに育ってくれている姿は、本当に奇跡のようです。



娘に出会えたことが私の人生の答え

私は「授けてくれてありがとう」とは特別思っていません。

けれど、出会ったことも、選択してきたことも、何一つ後悔はしていません。

人生をやり直すとしても、私は必ず同じ道を選ぶ。

それは、この子にまた出会うために。

一人でも立派に育てていけるように強くなろうと決めたし、もし同じ状況になったとしても、娘を抱けるなら私は迷わず同じ選択をすると思います。

それくらい、娘は私にとってかけがえのない存在なのです。







わたしが落ち込んだり泣いていると、そっと頭を撫でて涙を拭ってくれる娘。

どんなに辛いことがあっても、ひとりでこの子を育てていく私には、ただ立ち止まっている時間はありません。

泣いている姿より、前を向いて笑っている姿を見せたい。

そのために、心理学を学びながら、自分自身と向き合っています。

自分の思考のクセを知り、愛着スタイルを少しずつ安定型へと育て、

「考え方」ではなく「行動」を変えることを意識する。

アメリカの神学者・ラインホルド・ニーバーの言葉。

「変えられるものを変える勇気を、

変えられないものを受け入れる冷静さを、

そしてその二つを見極める知恵を与えたまえ。」

人はときに、変えられないことをどうにかしようともがいてしまう。

でも、変えられる部分に目を向けて行動を変えていけば、

きっと日々は少しずつ、確実にいい方向へ進んでいく。

それは巡って、娘や周りの人たちにも優しい変化をもたらしてくれるはず。

少なくともマイナスにはならない——そう思って、私は「変えられること」に意識を向けて過ごしています。

そうしてからというもの、無駄に考え込む時間が減り、

気持ちがふっと軽くなったように感じます。

自分の時間も、以前よりずっと有意義に使えるようになった。

出会いも別れも、きっと同じ。

変えられない部分を受け入れて、

そこから成長して、また次のご縁へとつないでいける自分でありたい。

そう思います。

これからは、私が実際にやっている「思考を整える小さな習慣」も

少しずつ発信していけたらと思っています。



毎日、なにかをがんばっているそこのあなたへ。

読んでくれて、ありがとう。

おつかれさま。

あしたも、いっしょにがんばろうね。

わたしも、がんばる。



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